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逆オーパーツを探せ!|どうして誰も気づかなかった?

アステカの水晶髑髏にアンティキテイラ島の機械、ナスカの地上絵にアンデスの頭蓋骨手術。

その時代には到底なかったはずの技術によって作られた物品の数々をオーパーツと呼びます。

場違いな工芸品とも呼ばれるオーパーツ。超古代文明が存在したのか、それとも宇宙人の襲来か、はたまた捏造なのか。

オーパーツの真実こそ分かりませんが、だからこそオーパーツには浪漫が詰まっているのでしょう。

しかし世の中には浪漫の欠片もない「逆オーパーツ」も存在するのです。

本来その時代に無いはずのものが「オーパーツ」であるならば、「逆オーパーツ」は「どうしてその時代まで誕生しなかったのだ!」と思わずツッコミたくなる物品の数々。

今回はそんな逆オーパーツを6つご用意させて頂きました。少しがっかりする逆オーパーツの数々をお楽しみ下さいませ。

鐙(あぶみ)と言うのは馬に乗る際に足を置く場所を作るロープのようなもののこと。

鐙があるとないとでは馬に乗る難易度が格段に異なります。そのため鐙がない時代は、幼い頃から訓練をしている貴族くらいし馬に乗ることは出来ませんでした。

また鐙無しでは馬上で踏ん張ることも出来ないので、騎乗しながらろくに武器を振るうことも出来ません。

こんな便利な鐙ですが、人類が馬に乗ってから鐙を作るまで約5000年間もかかっているのです。

遅くとも人類は紀元前4500年頃には馬に乗っていたとされますが、最古の鐙は中国で発見された西暦300年頃のもの。西洋に至っては7世紀頃まで鐙を使った形跡が御座いません。

車輪の付いた車を馬に引かせるという割と難しそうなことは紀元前3000年頃にはやっていたにも関わらず、どうして鐙を5000年間も発明できなかったのか……

人類の謎でしかありません。

缶切り

1810年、ピーターデュラントは画期的な食料の保存方法を発明しました。

それこそが現代でも使われている缶詰。

特に戦場食料などに重宝され、缶詰はまたたく間に世界中に広まりました。

 

しかし当時は缶詰をノミとハンマーで開けるのが主流。しかしこれがなかなかに難しく、戦場では銃で缶詰をぶっ壊すというようなとんでもない方法で缶詰を開けていました。ちなみにけが人も続出しています。

缶詰が安全に開けられるようになったのは缶詰が発明されてからなんと48年後。

1858年にアメリカのエズラ・J・ワーナーによって缶切りが発明されるのを待たなくてはなりません。

紀元前とか古代の話であれば「まぁ昔の人間ってそんなもんかな」と思えなくもありませんが、飛行船も蒸気機関車も発明されている19世紀半においてどうして缶切りが発明できなかったのか。怪我をする前に気がつくべきだと思うのですが……

友愛数

友愛数というのは異なる自然数のペアのうち自分自身を除いた約数の和が互いに他方と等しくなるような数のことでございます。

何を言っているかサッパリだと思いますので具体例を上げましょう。

まず220の約数は「1,2,4,5,10,11,20,22,44,55,110」で合計は284

一方で284の約数は「1,2,4,71,142」で合計は220

このような組み合わせのことを友愛数と呼びます。

 

さて古代ギリシアのピタゴラスと愉快な仲間たちでお馴染みのピタゴラス学派は「220と284」が友愛数であることを発見しておりました。

その後1636年には傍迷惑な余白でお馴染みのフェルマーが「17296と18416」の組み合わせを発見。さらに18世紀の天才数学者であるオイラーは友愛数の法則を考案し、たくさんの友愛数を発見しました。

おそらく皆様は「こんなもん発見して何に使うんだ……」とお思いのことと思いますが、ひとまず多くの数学者が真剣に友愛数を探していたことは御理解頂けることでしょう。

そんなこんなでピタゴラス学派が「220と284」の組み合わせを見つけてから約1500年ほど経った頃、オイラーによって「2620と2924」のペアが発見されました。

これも随分時間がかかりました。2620の約数くらい1500年の間に誰かが計算しそうなものです。

しかし本当の逆オーパーツはここから。

なんとオイラーの死後100年、16歳の少年パガニーニが「1184と1210」というペアを発見したのです。

2000年弱もの間、何故だれもこのペアを見つけなかった。

「9363584と9437056」のような巨大な友愛数を計算で探し出しているくせに、どうして1000ちょっとの計算をしてなかった。

16歳の少年が発見したことからも分かるよう、1184と1210というペアは計算すれば5分もかからずに友愛数だと分かります。

望遠鏡

人類が凸レンズを発明したのはどんなに遅くとも10世紀ごろと言われています。

アレキサンドリアのアル・ハーゼンが凸レンズを使った記録を明確に残しているのが10世紀ごろ。この記録はまず間違いない無いのですが、ちょっと微妙なものも含めれば凸レンズの歴史はそこからさらに1000年以上遡ります。

紀元前8世紀の古代エジプトでもレンズを使ったような形跡が御座いますし、暴君でお馴染みの皇帝ネロ(1世紀頃)の家庭教師も凸レンズを使った可能性が高いと言われております。

一方で凹レンズの歴史は比較的浅く、14世紀頃に発明されました。

凹レンズも1430年代には凹レンズで作られた近視用のメガネも誕生し、それなりに普及していたことが分かります。

 

さて、望遠鏡は凹レンズと凸レンズを重ねることで作ることが出来るのですが、望遠鏡の発明は16世紀末を待たなくてはなりません。

凹レンズの発明から実に200年。誰もレンズを2枚重ねて見なかったのか!?

確かに当時のレンズは高い!!だけど1人くらい重ねて見るやつがいるだろう!!

洗濯板

人類の洗濯の歴史は長く、紀元前5000年頃には洗剤が使われはじめ、お湯を使って洗濯をするようになったのもその頃から知られておりました。

しかし洗濯を革新的に向上させた洗濯板の発明は1797年のヨーロッパ

人類は5000年間なにしてたの……?

自転車

重たいものを楽に遠くに効率的に運ぶ。

車輪は人類の発明の中でも最も重要なものの1つです。

さて、人類が車輪を発明したのは紀元前4000年頃のメソポタミアと言われております。

その後、急速に世界中に広まり、わずか1000年後の紀元前2600年頃には馬車が誕生するまでに至りました。

しかしその後、人類はそれで満足したのかその後約4000年間、車輪の革新的な進化をさせることがなかったのです。

転機になったのは1815年に発生したタンボラ山の大噴火でした。

この噴火により馬が大量死。馬車を引く馬がいなくなったことに困ったドライス男爵は、試行錯誤の末ドライジーネと呼ばれる自転車の原型を1817年に発明しました。

ドライジーネはペダルもチェーンもブレーキもなんにもありません。ただ車輪が前後に付いているだけ。しかしそれを発明するまでに人類は5000年近くもかかってしまったのです。

コロンブスの卵

現代に生きる我々からすれば、逆オーパーツは滑稽な話でしょう。

しかしそれは私達が今を生きているからに過ぎません。コロンブスの卵という言葉があるように、一見思いつきそうなことも最初に思いつくまではなかなか苦労がいるのでしょう。

5年後か10年後か、はたまた1年後かは分かりませんが、少し先の未来からすれば今の私達だって逆オーパーツに気が付かないバカな人達なので御座います。

皆様も身の回りに逆オーパーツがないか探してみてはいかがでしょうか。

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RonRon編集部
編集部とは名ばかりのライター集団。 普段は事務仕事をしています。

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