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外国資本の流入
リン
終戦後も清一は数々のヒット商品を生み出すの。特に床用ワックスのビギーナは大ヒットしたの
リン
この頃には独立していてケントク産業株式会社を設立しているわ。
カレン
これまでは一社員として色々やってたんだ……
リン
清一のケントク産業は順調に成長するのだけれど、1959年に人生の転機となるある人物と出会うの
リン
その出会いは清一に幸福と災いをもたらしたわ。
カレン
幸福と災い……?
リン
その男の名はメルヴィン・J・エヴァンス博士
リン
敬虔なクリスチャンだった彼は、同じく敬虔な金光教の信者だった清一と話が話が合ったの。
リン
エヴァンス博士の凄いところは、学者でありながら経営者としても有能だったことね。彼はアメリカの実業界でも顔が広く、清一に2つの会社を紹介することになるの。
リン
1つ目が全米最大のワックスメーカーだったS・Cジョンソン社。日本進出のため、ケントクとの業務提携を考えていたわ。
リン
そしてもう1社がセントラル・オヴァオール社。ホコリの除去を主に行っている会社よ。
カレン
こ、この2社がどうなったの?
リン
そうね。じゃあ先にS・Cジョンソン社との提携から話をしましょうか。
リン
S・Cジョンソン社とは1962年に資本提携をし、ワックスメーカーとして歩みを始めることになるわ。
リン
最初のうちは良かったのだけど、清一の祈りの経営はアメリカ人には馴染まなかったの。
リン
さらにS・Cジョンソン社はケントクの資本金を増資したいと言いだしたのよ
カレン
増資?
リン
簡単に言えば、S・Cジョンソン社がケントクに投資をしたいって言い出したということよ。
リン
その額5400万円。当時のケントクの資本金は1800万円だったから、実に4倍もの増資よ
カレン
おお! これでケントクは経営に余裕が出来るんだね!
リン
甘いわカレン。これだけの増資を受けるということは、それはつまりS・Cジョンソン社が過半数筆頭株主になるということなの。
リン
会社は法的には株主のもの。つまり株の過半数をS・Cジョンソン社が所有するということは、ケントクがS・Cジョンソン社に買収されてしまったということなのよ
カレン
そ、そうなの!!?
カレン
で、でも清一さんも長年経営をしていたんだから、それくらいのこと……
リン
考えてもいなかったそうよ。そもそも清一には「相手を疑う」という考えが存在していなかったの
カレン
な、なんで?
リン
信仰心よ
カレン
よくこれまで潰れなかったね……
リン
そこは人徳の為せる技ね。清一には西端行雄という盟友がいたのだけれど、彼も清一に負けず劣らず、かなりの人徳者だったそうよ。彼が銀行からお金を借りようとしたときのエピソードとしてこんなものがあるわ。
リン
当時、西端が経営するセルフハトヤはかなり勢いがあったの。でも残念ながら新店オープンのための融資を受けることが出来なかった。
リン
その話を知り合いの社長に溢すと、社長は有志11人を集め西端の保証人になったそうよ、ろくな見返りもないのにね。さらに信じられないことに、西端を担当していた銀行の営業マンまでもが「俺の退職金を担保にしてくれ!」と言って、融資の審査を通したの。
リン
セルフハトヤは後にニチイになり、そしてマイカル・サティーへと成長することになるわ。残念なことにマイカルは経営破綻してイオンに吸収されてしまったけど、人格者には損得感情抜きで力を貸す文化がまだ根付いていたのでしょうね。
リン
とは言え、その人徳での経営は外資には通用しなかったわ。清一のケントクはS・Cジョンソン社に事実上乗っ取られ、1964年には清一はケントクから退くことになってしまうの。
カレン
自分で作った会社を追い出されちゃったんだね……
リン
ええ、今でこそスティーブ・ジョブズを筆頭に自分の会社を追い出される社長は珍しくないけれど、当時の日本ではかなりセンセーショナルな事件だったわ。外資被害者第一号なんて呼ばれていたようよ。
福音のダスキン
リン
一方でセントラル・オヴァオール社との出会いは、清一にとって間違いなく福音だったと言えるわ。
リン
セントラル・オヴァオール社は化学ぞうきんを作っているメーカーよ。ホコリを吸着させるぞうきんだと考えて貰えば問題ないわ。
リン
清一はこれを持ち帰って研究をし、ホームダスキンを開発するわ。このときサニークリーンという別の企業を設立していたのが幸運だったわ。ケントクは買収されてしまったけど、サニークリーンはケントクではないから独立が守られたのよ。
カレン
やっと運が巡ってきたんだね!
リン
サニークリーンは社名をダスキンと改名して発展を遂げるわ。その発展の原動力はなんと言っても「シーダーさん」の力によるところが大きいわね
カレン
シーダー?
リン
ガンダムSEEDのSEEDと同じね。「種を蒔く」という意味の「seed」に「er」を付けて「seeder」 つまり種を蒔く人という意味の造語よ。
リン
これは今でもダスキンの経営理念に残っているわね。DUSKIN 喜びのタネをまこう、の言葉の通り、お客様に喜びのタネをまくからシーダーさんと呼んでいたの
カレン
で、具体的にシーダーさんって何をする人なの?
リン
フランチャイズで働く人達のことよ。つまりダスキンの商品をお客様の家まで届ける人のことをシーダーと呼んでいたの
リン
これこそがダスキンが今日まで発展した最大の理由と言っても過言ではないわね。特にダスキンはシーダーさんに主婦を採用したことが他社との決定的な差別化になったと言えるわ
カレン
商品が良かったから発展したわけじゃないの?
リン
もちろんダスキンの商品が良かったのも間違いないわ。でも商品を真似ることはそこまで難しくない。事実、ダスキンが化学ぞうきんを販売したら、すぐにクリーニング業界首位の白洋舎が類似商品を発売したわ
リン
でもダスキンは負けなかった。先行利益も勿論あるけれど、何よりも極めてレベルの高いシーダーさんを多く抱えていたことが勝因よ。
リン
当時の日本はまさに高度経済成長の真っ只中、「男は仕事、女は家庭」という価値観が極めて強かった時代よ。そんな時代において主婦が出来る仕事は極めて限られていたの。
リン
そんな時代にダスキンはフランチャイズ展開で主婦の採用に積極的だったわ。これは清一が高度ワックスを販売したときの手法ね。自分だけでなく、販売会社さんも儲かるようにしたい、という清一の思想はフランチャイズで開花したの。
リン
当時の日本においてフランチャイズはまだほとんど存在しなかったわ。「儲かるビジネスを何で他人にやらせるんだ?」という価値観が強い時代だったからね。そんな中、フランチャイズの理念をきちんと理解していたダスキンが圧倒的な営業網を作れたのは当然の結果だったと思うわ。
カレン
つまりダスキンはフランチャイズによって発展した会社なんだね!
リン
その通りよ。もちろん研究技術も素晴らしいけれど、何よりもフランチャイズという仕組みを日本で最初に導入したことこそが、ダスキン成功の秘訣。そしてそれは「損の道」を選ぶ鈴木清一にしか出来なかったことだと私は思うわ。
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一号店は箕輪じゃなくて箕面ですよ